マシュマロが撃てるバズーカ

やさしくはげしくいろいろかたる!!ズガーン!

透明人間/東京事変

なんとなく自分のことを振り返ってみると、教育機関への入学試験を一度乗り越えてからようやっと半人前になれたのかもなぁという気がします。それ以前の自分が、思い出したくないくらい矛盾だらけの行動をとっていたことに際しての反応なのかも、という気はするのですが。そしてこの曲は、私が半人前になった気が勝手にしている地点(ちなみにいうと中学受験)以降で、初めて執着を伴って好きになってしまった曲です。今では、世界一透明できれいで輝いている純粋なラブソング、イズ、ディス〜〜〜〜と崇めています。

 

この歌の主人公、めっちゃめっちゃピュアなのは言わずもがな。思想が汚れていない。無垢。小学生中学生女子の社会の中で生きながら、自分か誰かに関して、「汚いのかも」と思った部分の正確なアンチテーゼが散りばめられていてびっくりしました。

噂に際して息をとめたり、秘密を一瞬抱えてもすぐ野晒しにしてしまったり、いろいろな人やもののことを好きになってしまったり、ひとつひとつのことには自分の手で触れて確かめたり、って、私の思う「純」に限りなく近い。その逆の行動は、いつのまにかいろいろな人が大人になるにつれ、「生きていくための術」として学習して起こすようになるものなんだと思います。だから「そういうの、汚い」とか私が傲慢に言い切れるものではないけれど、透明人間がしていること、しようとしていることには憧れる。

そしてこの歌には絶対的な「あなた」がいます。「あなたが笑ったり飛んだり大きく驚いたとき 透き通る気持ちでちゃんと答えたいのさ」「あなたが怒ったり泣いたり声すら失った時 透き通る気持ちを分けてあげたいのさ」というフレーズからは、対象にも自分と同じ性質、「透明さ」を求めているかんじがする。自分も透けていて、相手も透き通っていることが一番の理想形というか。「もっと透けていたい」なら、それは、そうだよね。「あなたと、いっしょ」って感じ、しませんか?

これやっぱり恋だと思うんです。

好きって気持ちだけしかないものっていうか。大人になりながらそういうのとは離れていくように思えるので、私は、「透明人間」は子供の恋の歌なのかなぁと思ってます。

主人公の性別も分からないけど、恋の相手の性別は自分と別じゃなかったり、というか人間じゃないかもって解釈しても、この歌のきれいさピュアさは不可侵だと思います。好きって気持ちが存在するだけなら、主体と客体の間柄、とか、とりまかれる環境とかなんでもいいなぁとか、この歌を聞くたびいつもそんなことを思い出します。