マシュマロが撃てるバズーカ

やさしくはげしくいろいろかたる!!ズガーン!

ボンボヤージ/吉井和哉

Bon Voyageは「良い旅を」という意味をもつ、響きがおしゃれなフランス語です。ふと思い出したのですがなにがし夢の国?海だっけ?を訪ねれば何かの折に耳にするであろう言葉ですね。

自分にとって小さくて愛しいものを見送る歌だと思います。例えば娘のお嫁入りとか。歌詞にもありますからね。

吉井さんの身の回りにそのようなことが実際にあったのかもしれない…ということを、彼を知ってから流れた時間の短さゆえ信憑性が地面スレッスレの低さである自覚を伴い推し量っているのですが、この歌が発表された時点との時系列とか見当つかないし、なんか彼の歌に関しては背景にあった本当のことの把握や、あぁこれは空想の世界のことで事実とは関係ないのかなとか予測とかしてなくても、作品一本、提示されているものだけで十分すぎるくらいかみ殺して、しゃぶりつくせることに最近気づいたので、もう、いいです。

441108.com|吉井和哉|YOSHII KAZUYA OFFICIAL WEBSITE

 

 彼の歌が大好きで大好きで仕方がなくて困っている今日この頃です。

 

重い扉のハンドルを 

回して締めたら旅立ちだ

それまでの日々との決別、区切り。扉を重いと表現するところ、「あなた」を見守る立場から、彼女(のちに出てくる表現に「あなたがお嫁に行くときは白いブーケを髪に巻き」というのがあるのですが、髪に白いお花を巻くのは女の子の領分かなぁと思い、そちらで解釈しました)がそれまで過ごした日々を可愛らしいというかちいさなものだと、ありがちな保護的立場ゆえの軽視なぞをせずにその濃密さ重厚感を認めてる言葉は、彼女自身を認めることに繋がるのでしょう。旅立ちを見守るからには彼女が自分と離れて生き始めたとき潰されないことを祈らずにはいられないはずで、 この歌詞にはそこが汲まれているような気もして、さすが心のひだの内側まで言葉にする私の大好きなハイパーおじさん♡じたばた♡ってなりました。

 

あなたの笑顔はいつの日も

私の勇気になりました

赤い太陽が昇ったら出航だ

歌になり、音声として享受するには上のまま他の単語も連なっている状態を受け入れなくてはいけないと思うのですがここでは便宜上。「あなたの笑顔」は「私の勇気」に「なった」って、主幹構造は主語=述語というSVC文型じゃないですか。主語の説明という責務を結局たった一つの名詞に委託しきるという手法は乱暴と背中合わせの心強さ頼りがいだなぁと思いました。

それでも「私の勇気」に「なった」なんて素敵なこと言われたら嬉しいに決まっているじゃないですか。もしもわたしがこの歌を作った人に見送られる立場に立ってたら(はぁ。実際そんなことないですけど)こんな大量の愛を一気に受け止めたことがびっくりで嬉しくてどうしようもなくて涙が目から押し出されそうです。

 

片手のないもの 片目のもの

いろんな姿の石像が

未来はまだまだ続くのだと

訪れるものに差し伸べる

ひとりぼっちと思ったらいけないよ

「石像」はきっと、すでに亡くなっている人のことを指しているんだろうな、と。たとえば片目がなかったり片手がなかったり、肉体的にどこか欠けたまま生命を終えるという事象って、現代よりも数十年単位で前の時代に絶対量が多かった気がするんですね。だからこそ石像のことは人生の先輩だと思えて、その人たちに「ひとりぼっちと思ったらいけないよ」と言われるとさすがに厚みを感じられて。

あともう一つの視点からいうと、何かを喪った者が「ひとりぼっちと思ったらいけないよ」と優しげに言うところ(音源聴いてください)を考えると、というか、その人たちの方がその言葉をあんなに優しく言える(音源聴いてください)と考えると、柔らかいもので心の一番とげとげしいところをくるまれた気になります。自分の荒みの原因って「何かが足りない!ほしい!」という渇望というか、何かの欠如への反発なんだなぁとたまに思うので、それがいつの日にか誰かへの優しさにも昇華できるのかなぁということを思いました。

多分私死にたいとか思いそうになったら絶対にこのフレーズ思い出して「やっぱり生きる」って思いなおしそう、だなあと考えてしまいます。ほんと優しいフレーズだと思います。