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マシュマロが撃てるバズーカ

やさしくはげしくいろいろかたる!!ズガーン!

THE YELLOW MONKEY/JAM

 

 

はじめてこの曲と接したのはYouTubeにて、だった。彼らがMステで演奏している動画を視聴したときだ。2016夏。

簡潔にいうと衝撃を受けた。音楽的素養がないから、そういうことを話すための用語を使って詳しく語ることもできないけれど、とにかく心を揺さぶられた。それを言葉にうまく変えることができないもやもやは、Googleでその曲に言及しているページを見まくるエネルギーに換えられていた。

「このやさしいメロディはカノン進行っていうのがベースになってるんだ!」とか、「『君』は当時あんまり会えなかった娘さんのことだったんだ!」とか、「CD音源にはテイクワンが採用されたけどレコーディング中に感極まってしまって『また明日を待ってる』のところだけ別録りだったんだ!」だとか、この曲に関するエピソードをいろいろ知れた。しかし、わたしと同じようにこの曲に感動した人の言葉を読むのが一番楽しかった。その中で「わたしもやっぱり語ってみたい…!」という気持ちがむくむくとふくれあがり…というわけでわたしも、元々ない国語力を総動員してがんばってみようと思うに至ったわけだ。

 

以下、わたしの自己満足である。

 

 

 

 

 

 

 

 

画面に顔を近づけると無機質で少し苦いにおいがする、ブラウン管のテレビが部屋に置かれている。灰色に縁取られた世界が伝えるのは人が死んだ話で、彼の体は思考が追いつく前に小刻みに揺れて、自分が何を考えているのかも知りたくない夜の話がこの歌だ。

 

「素敵なものが欲しいけど あんまり売ってないから 好きな歌を歌う」

高度経済成長期やバブル期を経てモノが飽和する世界が誰にとっても当たり前になり、その中で皆が渇望する「富と名声」を手に入れているであろう存在・ロックスターが、「素敵なものはあまり売ってない」と言い切っているのがすごく格好良く見えて、同時に自分がその世界を生きていかねばならないのかと思うと焦燥感にかられた。

「そこそこ素敵」なものや「便利」なものがお店にあふれている世の中だが、手で触れてその存在を確かめられるモノほどすぐに劣化する。できればそういった無機物にすがりながら生きていたくないと思ったし、そういったモノの「儚さ」を理解し始めた頃のわたしの心に、このフレーズはあまりにも大きな音量で響いた。

その上で「好きな歌を歌う」のがロビンだ。データに変換されたことで円盤なりメモリーなりという居場所が歌に与えられる、というひとつの理論に帰結させることは不可能で、人の記憶の中にエネルギーを持って生きることができるのが歌だと思うし、そこが居場所だとすればエネルギー源は「ヒト」という生物だと言い切れるからこそ、歌はいつの間にか風化して崩れさったり、というのはしにくいと思う。(生き物はなににしろとにかく神秘で謎で人知を超えているところがあるとおもう)わたしはそんな考えをもって、好きな歌を歌っている間、彼はやすらぎに包まれているのではないか、なんて思う。

 

「キラキラと 輝く大地で君と抱き合いたい この世界に真っ赤なジャムを塗って 食べようとするやつがいても」

ところでこのシングルが発売されたのは1996年。日本は阪神淡路大震災地下鉄サリン事件の余波を抱えながら暗澹としていたという。今わたしが生きているのは「2016年の日本」である。2016年は、後から何の年だと思われるのかは知らないが、ほとんど毎日、世界のどこかで、宗教や国家を盾にして、覇権を得ることを目的に無差別殺人が起こされている。それが日常と化している。

何かのはずみで、例えばたまたま同時に数人を殺せるくらいの威力の銃を持っていたとか、そんなアドバンテージを持ってただけの"勢力"が同時にたくさんの人を殺せるのがどうしてこんなに恐ろしいのだろう。一人が抑えようないくらい誰かを憎んで一人を殺すことの方がしっくりきてしまう。

テロという単語をニュースで聞くたびに思う。今まさに、この世界に真っ赤なジャムは塗られている。血に塗られた大地は、その後覇権を握ったものにとってのご馳走なのである。そんな世界はとりあえず20年間変わってなかったということなのだろう。

そして、歌を聴く上ではそんな付帯状況を説明した言葉よりもずっと、「君と抱き合いたい」という気持ちのほうが大切なのかもしれない。そしてその気持ちは、人間やるうえでものすこく原始的な暖かい気持ちだ。よってわたしの考えなんてくどくど書かなくてもよいだろう。

 

外国で飛行機が堕ちました

ニュースキャスターは嬉しそうに

「乗客に日本人は いませんでした」

「いませんでした」「いませんでした」

僕は何を思えばいいんだろう

僕はなんて言えばいいんだろう

こんな夜は 会いたくて 会いたくて 会いたくて

君に会いたくて 君に会いたくて

また明日を待ってる

多分、特に前半はこの曲の中で一番有名なところ。フレーズが一人歩きしている様子も垣間見られる。友人に聞かせたら「え、実際ニュースキャスターって嬉しそうになんて言ってないよね?」と言われた。あと「キャスターが『乗客に日本人はいなかった』と言うのは関係各所への電話が集中して回線が混乱するのを防ぐためだから」とかいうナルホドな意見も目にした。

わたしは言いたい。

「ちゃうねん…」

実際ニュースキャスターは嬉しそうには言ってない。(と思う。少なくとも今の報ステのお姉さんとかそんなことしなさそう)淡々と言っている。関係各所への配慮も大切だ。

わたしがこの歌を聴きながら考えたいのは、そんなことを歌うに至らせた、ロビン氏のこころの様相だ。たとえ「乗客に日本人はいませんでした」というキャスターの声音が弾んでいなかったとしても、その背景に「安堵感」が存在している気はしないだろうか。(日常生活の中で似た例を考えたのですが、2人組を作らなきゃいけないけどいつもの仲良しは3人組で「じゃあわたし抜けるよ」って言ったあとに申し訳なさそうに言われる「ごめんね、ありがとう」という言葉に、露呈されていない相手の「喜」の感情を読み取ってしまった、みたいな出来事って往々にしてありそう。)

そこにフォーカスして歌を歌ったロビン氏の心に渦巻いていたのは猜疑心、さらには漠然とした不安、だと思う。逆説的に言うと、それを表現するフレーズが前半なのだ…ロビン氏の才能おそろしい。

さてさて、そのフレーズが有名なことに関して、ロビン氏は重要なのはその後「こんな夜は逢いたくて~また明日を待ってる」まで続くラインであると語っているそう。

個人的な感想を言う。前半が終わってから、「こんな夜は 会いたくて 会いたくて 会いたくて」と「君」という単語がすぐに出てこないところがたまらなく好きだ。その後に補完のように「君に会いたくて」と続くところが好き。それって「君」が補完として出てくるだけでいいくらい主人公の中で大きな存在ってことだと思った。一番に出てくるのは「会いたい」というむき出しな感情で。そんな表現のかたちに胸はキュウウウンとなった。それにしても猜疑心や不安が渦巻いている夜の心に会いたいと欲される「君」はロビン氏の重い愛背負ってるな…。でも明日にならないと会えないんですね。そうだ眠ってたんだ君。

ところで君に会いたいから、と「また明日を待ってる」という言葉で歌を締めてくれて、私は安心してしまいました。だって主人公の心すごく不安定じゃないですか。それでも明日を待つくらいの希望が彼の中にあってよかった。そしてそんな針の先くらいかすかに見える希望こそが人を生かすこと。それを教えてくれるという意味ではこのフレーズ、とてつもなく優しいと思う。

 

と、思いつくままに語り倒してみましたが、多分語りきれてないんです〜〜(涙で琵琶湖作れる)

…でもでもこの歌ずーっと聞き続けられそうな予感が凄くします。数日後、数ヶ月後、数年後に聞いてもこんな風に思えたり、あのとき考えたことは違ったのかもとか思ったり、また新たな感想を言えるようになっていたりするんだと思う。そんな歌に出会えたのは幸せである。