マシュマロが撃てるバズーカ

やさしくはげしくいろいろかたる!!ズガーン!

11/12 SUBJECTIVE LATE SHOW 松戸 セットリスト

 

SUBJECTIVE LATE SHOW

ALRIGHT

ROCK STAR

I Love You Baby

VERMILLION HANDS

聖なる海とサンシャイン

FOUR SEASONS

SHOCK HEARTS

/MC/《ひーせのパパとロビンのパパが同じ施設で焼かれた話、ロビンが手帳を信じ切って、(本当は新宿から遠い)新松戸にあるロフト付き新築3.8万円の物件を借りた話、高島屋でロッカーみたいな人たちがお歳暮?お中元のシーズンにかり出された話》

審美眼ブギ

FOXY BLUE LOVE

SLEEPLESS IMAGENATION

/MC/《「むかし辛くなったホールツアーがあったけどその時の曲をやります」》

パンチドランカー

赤裸々GO!GO!GO!

太陽が燃えている

SUCK OF LIFE【絡み無し】

Father

/MC(メンバー紹介)/《アニーの笑顔は何カラットのダイヤモンドなんでしょうね、etc》

砂の塔

EC

/MC/《「リアクション悪いからな」⇨客席「ええ」、「来年25周年ですから!いろいろやります!ワンオクロッ…コホン、ワンオクロックのように働きます!ラッドウィンプスのように働きます!宇多田ヒカルさんのように働きます!」、「それでは聞いてください」⇨次曲》

JAM

バラ色の日々

悲しきASIAN BOY

透明人間/東京事変

なんとなく自分のことを振り返ってみると、教育機関への入学試験を一度乗り越えてからようやっと半人前になれたのかもなぁという気がします。それ以前の自分が、思い出したくないくらい矛盾だらけの行動をとっていたことに際しての反応なのかも、という気はするのですが。そしてこの曲は、私が半人前になった気が勝手にしている地点(ちなみにいうと中学受験)以降で、初めて執着を伴って好きになってしまった曲です。今では、世界一透明できれいで輝いている純粋なラブソング、イズ、ディス〜〜〜〜と崇めています。

 

この歌の主人公、めっちゃめっちゃピュアなのは言わずもがな。思想が汚れていない。無垢。小学生中学生女子の社会の中で生きながら、自分か誰かに関して、「汚いのかも」と思った部分の正確なアンチテーゼが散りばめられていてびっくりしました。

噂に際して息をとめたり、秘密を一瞬抱えてもすぐ野晒しにしてしまったり、いろいろな人やもののことを好きになってしまったり、ひとつひとつのことには自分の手で触れて確かめたり、って、私の思う「純」に限りなく近い。その逆の行動は、いつのまにかいろいろな人が大人になるにつれ、「生きていくための術」として学習して起こすようになるものなんだと思います。だから「そういうの、汚い」とか私が傲慢に言い切れるものではないけれど、透明人間がしていること、しようとしていることには憧れる。

そしてこの歌には絶対的な「あなた」がいます。「あなたが笑ったり飛んだり大きく驚いたとき 透き通る気持ちでちゃんと答えたいのさ」「あなたが怒ったり泣いたり声すら失った時 透き通る気持ちを分けてあげたいのさ」というフレーズからは、対象にも自分と同じ性質、「透明さ」を求めているかんじがする。自分も透けていて、相手も透き通っていることが一番の理想形というか。「もっと透けていたい」なら、それは、そうだよね。「あなたと、いっしょ」って感じ、しませんか?

これやっぱり恋だと思うんです。

好きって気持ちだけしかないものっていうか。大人になりながらそういうのとは離れていくように思えるので、私は、「透明人間」は子供の恋の歌なのかなぁと思ってます。

主人公の性別も分からないけど、恋の相手の性別は自分と別じゃなかったり、というか人間じゃないかもって解釈しても、この歌のきれいさピュアさは不可侵だと思います。好きって気持ちが存在するだけなら、主体と客体の間柄、とか、とりまかれる環境とかなんでもいいなぁとか、この歌を聞くたびいつもそんなことを思い出します。

 

 

ボンボヤージ/吉井和哉

Bon Voyageは「良い旅を」という意味をもつ、響きがおしゃれなフランス語です。ふと思い出したのですがなにがし夢の国?海だっけ?を訪ねれば何かの折に耳にするであろう言葉ですね。

自分にとって小さくて愛しいものを見送る歌だと思います。例えば娘のお嫁入りとか。歌詞にもありますからね。

吉井さんの身の回りにそのようなことが実際にあったのかもしれない…ということを、彼を知ってから流れた時間の短さゆえ信憑性が地面スレッスレの低さである自覚を伴い推し量っているのですが、この歌が発表された時点との時系列とか見当つかないし、なんか彼の歌に関しては背景にあった本当のことの把握や、あぁこれは空想の世界のことで事実とは関係ないのかなとか予測とかしてなくても、作品一本、提示されているものだけで十分すぎるくらいかみ殺して、しゃぶりつくせることに最近気づいたので、もう、いいです。

441108.com|吉井和哉|YOSHII KAZUYA OFFICIAL WEBSITE

 

 彼の歌が大好きで大好きで仕方がなくて困っている今日この頃です。

 

重い扉のハンドルを 

回して締めたら旅立ちだ

それまでの日々との決別、区切り。扉を重いと表現するところ、「あなた」を見守る立場から、彼女(のちに出てくる表現に「あなたがお嫁に行くときは白いブーケを髪に巻き」というのがあるのですが、髪に白いお花を巻くのは女の子の領分かなぁと思い、そちらで解釈しました)がそれまで過ごした日々を可愛らしいというかちいさなものだと、ありがちな保護的立場ゆえの軽視なぞをせずにその濃密さ重厚感を認めてる言葉は、彼女自身を認めることに繋がるのでしょう。旅立ちを見守るからには彼女が自分と離れて生き始めたとき潰されないことを祈らずにはいられないはずで、 この歌詞にはそこが汲まれているような気もして、さすが心のひだの内側まで言葉にする私の大好きなハイパーおじさん♡じたばた♡ってなりました。

 

あなたの笑顔はいつの日も

私の勇気になりました

赤い太陽が昇ったら出航だ

歌になり、音声として享受するには上のまま他の単語も連なっている状態を受け入れなくてはいけないと思うのですがここでは便宜上。「あなたの笑顔」は「私の勇気」に「なった」って、主幹構造は主語=述語というSVC文型じゃないですか。主語の説明という責務を結局たった一つの名詞に委託しきるという手法は乱暴と背中合わせの心強さ頼りがいだなぁと思いました。

それでも「私の勇気」に「なった」なんて素敵なこと言われたら嬉しいに決まっているじゃないですか。もしもわたしがこの歌を作った人に見送られる立場に立ってたら(はぁ。実際そんなことないですけど)こんな大量の愛を一気に受け止めたことがびっくりで嬉しくてどうしようもなくて涙が目から押し出されそうです。

 

片手のないもの 片目のもの

いろんな姿の石像が

未来はまだまだ続くのだと

訪れるものに差し伸べる

ひとりぼっちと思ったらいけないよ

「石像」はきっと、すでに亡くなっている人のことを指しているんだろうな、と。たとえば片目がなかったり片手がなかったり、肉体的にどこか欠けたまま生命を終えるという事象って、現代よりも数十年単位で前の時代に絶対量が多かった気がするんですね。だからこそ石像のことは人生の先輩だと思えて、その人たちに「ひとりぼっちと思ったらいけないよ」と言われるとさすがに厚みを感じられて。

あともう一つの視点からいうと、何かを喪った者が「ひとりぼっちと思ったらいけないよ」と優しげに言うところ(音源聴いてください)を考えると、というか、その人たちの方がその言葉をあんなに優しく言える(音源聴いてください)と考えると、柔らかいもので心の一番とげとげしいところをくるまれた気になります。自分の荒みの原因って「何かが足りない!ほしい!」という渇望というか、何かの欠如への反発なんだなぁとたまに思うので、それがいつの日にか誰かへの優しさにも昇華できるのかなぁということを思いました。

多分私死にたいとか思いそうになったら絶対にこのフレーズ思い出して「やっぱり生きる」って思いなおしそう、だなあと考えてしまいます。ほんと優しいフレーズだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

オンリーワン・ナンバーワン論争

Mステスペシャルの「日本に影響を与えた曲100」、あれをランキングとするのは色々とおかしかった気がするけど、わたしは、それらが順位の番号が大きい方から小さい方へ、となるような曲順でかけられていた事実とか意識しないで、日本の有名曲を教えてもらっている気になってテレビを見ていた。ああいうのを見る度にわたしはひと昔前の歌というものが好きなのだな、と思う。ひと昔前の歌というか、ひと昔前に生まれたのに今なお誰かがそれを受け継ごうとする動きのある歌と言った方が正確かもしれない。なぜだろうかと考えてみたのだけれど、多分安心感があるのだと思う。時代は、何かを淘汰していくという動作の主体となるけれど、そのフィルターをかいくぐり、生還して今にまでも受け継がれる歌は、強い。良質かどうかはきっぱり言えないけれど、確実に保有するエネルギーというのが大きい気がする。特に地上波で「スタンダード」として取り上げられるような歌には、大衆の生活や感情を一手に引き受けてきた過去があるから、今となってはちょっとやそっとのことでどうにかなったりしない雰囲気をたたえているような印象を受ける。そのようなものを前にしたら一瞬だけ自分という存在が力強さをたたえていなければいけないことを忘れていいような気がして、それを安心感と私は呼んでみた。

そして、その「安心感」は少なくとも私の中で保障されていた曲群の中で、日本に影響を与えた曲No.1として提示されていたのは「世界に一つだけの花」だった。SMAPが解散することを思い出して少し虚ろな気分になりかけたけど 、すぐに歌い手の事情という背景を忘れて、ただ素敵な歌だとだけ認識して聞いていたはずなのに、頬を涙が滑ったのはあの歌がやはり素晴らしいからだったと思っている。

横から「オンリーワンにあぐらかいてちゃいけないよね」と母が話しかけてきた。正直自分のセンチメンタルに水をさされて気分が悪かった。それをばらすのが恥ずかしくて言えなかったことを今ここに書き留めさせてもらいたい。

一つの歌に完全な真理なんて求める意味ないよ、No. 1にならなきゃ意味がないって世界が本気で思ってるなら破滅。名詞そのままに一人しかなれないものんだよ、なれない人間はなにを思えばいいのよ、皆が皆同時にNo.1になりたがってるから世界に争いはおこるんだよね、「清々しい」ものから社会が許さないものまで。本気でNo. 1目指してる人間の絶対数は飽和状態のグラフみたいになったら世の中がのんびりし出す予感はあるな。No. 1なんか目指してない、たとえばオンリーワンを目指している人間がいてこそ地球の均整が取れてるんだよ。それでもみんななぜか極端な数字がお好きなようですから、そんな同調圧力みたいなもののせいで、きっとたいていの人はNo. 1を目指して、それでも結局上位何パーセントかとかに入って喜んでるすこしの人間がいる世界の中で、得た順位に価値はないとか思わずにいられなくなって、しまいにはおそらくする必要のない失望をする人間がどれだけいることか。あなたが一瞬でも見下せるかもしれない阿呆を勇気付けてくれる歌くらい、野放しにしておけ。

どうしようもない淋しさをレコードで埋めた人

ノラ・ジョーンズの新譜のリード曲・"Carry On"という曲とTVを通じて接する機会がたまたまあって、その曲が大好きになってしまった。YouTubeでその曲のMVを探した。老夫婦の何気ない日常の中の、少し特別であろう瞬間の映像。その中に溶け込んで弾き語りをする彼女が、曲の(少しだったり大きくだったり)落ち着いた部分で、歯を見せず、くちびるをにっと引くように笑うだけで、ものすごく質量の大きなものを感じることができた気がして、すてきな人だなぁと思った。そういえばこの前レンタルショップ店で借りた青いジャケットのCDにNorah Jonesって文字が入ってたような、と思って、iPhoneに落として聞いた。タイトルは"Come away with me"。ピアノを習ってたこともあるからか知らないけれど、この、一つの楽器から、理論上は統制された音の粒が、時にゴージャスに、時に柔らかく、大量に弾けとぶのを俯瞰するような感覚を、わたしは穏やかな気持ちで受け入れていた。聞いているときには多分一人で、さしずめあの映像の中の彼女のように、歯と歯茎が外界に触れないような形で、にっと笑っていた。すっかりその人の楽曲の虜になっている自分に気づいた時はとりあえずWikipediaを見るに限る、というのが今のわたしである(安直すぎて自分で少し忌々しくもなる)。

ノラ・ジョーンズ - Wikipedia

生活を支えるために母スーは看護師として働き始め、兄弟もいないノラは家で一人となり、母の持つ膨大な数のLPレコードで寂しさを紛らわせた。

彼女は彼女だから、ここからわたしが話すことは個人的な趣味で持ち出した、まあつまり特に意味のない話なのだけれど、吉井和哉のことを思い出した。彼もひとりっ子で、レコードが大好きな少年だったような。(記憶が正しければ。)「ということは、わたしの中のスターのうち少なくともふたりは、小さいころにレコードを聞きまくってたんだ!」という小さな結論に達した。

そして家の中で数カ所の目星をつけて、今は離れて暮らす父親が残していったレコードを探してみた。寝室のクローゼットの一番下の棚に目当てのものは見つかった。全然膨大な数なんかじゃないけれど、わたしは本当に宝物を発見したような気持ちだった。"THE BEST OF JAZZ BOCAL"に"Oldies Golden Hit Pops"、あとは"THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS"、"LET IT BE"とか"MAGICAL MYSTERY TOUR"だったり。音楽少女とかじゃないわたしでもタイトルを知っているオリジナルアルバム数枚だけじゃなくて、音楽のジャンルがくくりになっているベストアルバムって、本当にすてきなものをお父さんは持っていたんだなぁと思った。早速電話をして居場所を教えてもらったプレイヤーは無事に見つけたのに、接続できるスピーカーを持ってなかった…という話は初出じゃない。つぶやいた。うん。どうしましょうかね。そのうち絶対に買います…

わたしは彼と彼女が「小さいころにレコードを聴きまくってた」というところに憧れのようなものを抱いてこのような行動をとったのだけれど、当の彼らにとってそれはただ、自分の生き方とかが自発的にしろ強制的にしろ決められてなんかいなくて、何をしてもよかった瞬間にやってたことが「音楽を聴くこと」だった、といったようなことなのだろう。そのような種類の人は根っからの職人さんのように感じられる。プロフェッショナルになる前からそういうことをしていて、結局プロフェッショナルになった人たちのことならそう呼んでもおかしくないかなあ。何をしてもいいときにしていたことがその人のまっさらな部分と直結するような気がするけれど、それだけではなく、淋しい時にしていたことが結局自己表現というかたちの生業に繋がった、みたいな音楽家がいたのか、と思った。「音楽は心」みたいな、抽象的でほんわかした道徳みたいな表現をどこかで聞いたことがあったけど、それをしんみりしたところから腑に落としてしまった。

信じ続けること

「信じる」ことって、「自分の心の中に作られている物語を勝手に真実だと思い込み続ける」ことだと言い換えられると思うんです。「信じてる」とか、芯の強い乙女が祈りを捧げるポーズを取りながら言ってそうな言葉は少し身勝手だなあと思いながら眺めてしまうし、「信じてたのに!」みたいな、涙目の誰かが言っていそうな言葉には、きみがすこしばかだっただけなんだよ、落ち着いて考え直してみなよ、って一番に思ってしまう。思い込みという行為が充分未来を紡ぎ得るものだということも良く知っているつもりだけれど、「信じる」ことこれすなわち愛、みたいに定義されているとすれば動作の主語となる人が報われないとしか思えなくて、それが辛くて、何かを信じている人を見る度に胸がちくちくと痛む。

「信じる」ことについて、わたしが大好きないくつかのうたで歌われていた。手放しに「信じる」ことを歌っていないから、だから好きになってしまった歌なのかなぁと思った。

 

The hardest thing I've ever done is keep believing

I need to be in love/Carpenters

ARE YOU A BELIEVER?

バラ色の日々/THE YELLOW MONKEY

東京事変/スーパースター

東京事変/歌詞:スーパースター/うたまっぷ歌詞無料検索

「大人」収録。

「透明人間」目当てで中古ショップで購入したこのアルバムですが、全曲が格好良いあまりに人生ではじめてトラック1から最後までかけっぱなしに"できた"思い出の一枚です。当時の自分はそれだけのことに達成感を感じていました。何せ今でもそこそこ飽きっぽく、音楽に対してどちらかといえばやはり意識低い系だなあと今でも認識しまくって日々を送っているものでして…勉強中です…

 

先日部屋を掃除していたら真っ白なA4の紙を発掘して、なんと中身を開くとこの曲の感想文(!)だったんですよ。数ヶ月前に書いた記憶が蘇ってきて、そういえばこんなの書いてたなぁ…と。にしても感想文とか、絶対に他人には読ませないくせに書いてる過去の自分、この曲に無償の愛を捧げてるみたいでふふっとなりました。それを参考にしながらこのエントリも編集してみました。

 

さて。椎名林檎イチロー選手のことを想ってこの歌を書いたというのは有名なお話らしいですが、言いたいこと、わかる。全部わかる。「ふと去来する」憧れの人の言葉ですが、なぜ本当の意味で常にそれを覚えている状態であれないのでしょうかね。日々の諸々の中には、あなたの言葉と天秤にかければ雑音にしてしまうべきものはたくさんたくさんあるはずなのに。そこが「か弱さ」にも通じるのでしょう。

例えばイチロー選手(そして、これはこの曲を聴衆の中でよりきらめかせるマジックだと勝手に感じているのですが、このエントリを読んでいるあなたの頭の中でこの曲と結びついている人、ほかにもいらっしゃると思うんですよね。)は、枯れ行く葉に守られていない道を進みます。私がひいひい言いながら精神的に匍匐前進しているような道なんて、柔らかい葉っぱがふかふかに守っててくれてる、いいえ、なんなら腐葉土に覆われてるような、そんなものなんだなあ、と思ってしまうあたりにも自分の弱さを感じます。生きながらきついなあとか思ったこと何回もあるんです、その感覚を信じられないということです。自分の感覚くらい信じてたいのに、それもとりあえず否定してみないと怖くなる。そこから弱いなんてどうすればいいのかなあ…とかいうのは完全に個人的な感想ですが、それでも「蹴って歩く」という行動の余地を示してくれているのが救いです。いいんです。これから、自分が信じる一挙一投足を力強くしてみれば。きっと。

 

先日、丁度選手が日米通算安打記録でピート・ローズ氏を抜いてしまったところです。「自分はそこをゴールに設定したことはなくて、ファンやチームメイトが喜んでくれたのはすごく嬉しかったけれど、それが無ければ、全然。」って言ってのけていたの、震えた。思いっきり非熱狂的野球ファンで、彼のとんでもない記録その他ををほんわか漏れ聞いていただけでは満足できずにネイバーまとめかなんかで調べてしまった私がワイドショーを通じて初めてリアルタイムで接した彼の発言がこれですよ。痙攣しそうになった。まっすぐな芯を何年間も保ち続けてきたということは、きっと同時にしなやかなんだと思います。その強さへの憧れを急激に積もらせてしまって本気で泣きそうになったけれど、絶対に泣きたくなくて、無かったことにできる量ギリギリで最終的に雫は零さなかったから、私はつまり泣いていません。凄すぎる人間の凄すぎる実績だけ知って、その過程のことをあまり知らない癖に涙を流していたら、彼に苦笑される気がしたのです。何かを燃やして、自分が燃えていた、ある部分では孤独な闘いの日々を無視して彼の成し遂げたことに涙を流すのは、すごい独りよがりに思えました。

 

椎名林檎イチローのことを考えて作ったこの歌だけれど、歌われているのは、憧れの人に抱く普遍的な感情です。最後に言ってしまうと、自分を燃やしてみてから自分の強さを信じて、わたしのスーパースターにもしも会えることになったとしても、しゃんと立っていられるようになるのが、私の一番の夢です。

 

あなたのスーパースターは、誰ですか?